スペシャル座談会

在宅でご家族をお看取りした経験のある皆様の座談会です。

手を離さない。ひとりにしない。

 ――三和クリニックと歩む在宅医療と介護の話――

スピーカー

どんなに人の寿命が延びても、いえ延びたからこそ、決して避けるとができない「老い」とそれにまつわる「病」、そして介護。三和クリニックは在宅医療を担うクリニックとして、介護者とご本人の人生を精一杯お支えしてきました。
そんな三和クリニックとともに介護の日々を歩まれ、お身内を見送られた皆様は、今どのように感じているのでしょうか。
4人の当事者の方々と、介護関係者らの憩いの場「つどい場さくらちゃん」の理事長・丸尾多重子さんに、お話を伺いました。

三和クリニックの在宅医療に接して

――本日はありがとうございます。皆様はそれぞれご家族の介護と看取りを経験されるなかで、三和クリニックを在宅医療のパートナーとされた時期があると伺っています。まず、どなたを介護され、どのような経緯で三和クリニックとつながったのか、概要をお聞かせください。

有岡さん

有岡さん

有岡: 私が介護したのは認知症の実母で、介護期間は14年です。三和クリニックにお世話になったのは介護生活の中盤から。新聞でたまたま目にした長尾先生のコラムがとても気になって、その切り抜きをまるちゃん(丸尾さん)に見せたら、「この先生、知ってるよ」と。
それがきっかけで長尾先生に母を診ていただくことになりました。受診したときの、「最後まで面倒みるで」という言葉がとても心強くて、嬉しかったです。

西村: 私は脳卒中後の夫を25年介護しました。最初のうちは自分で動けましたから、近所のお医者さんに通院で診ていただいていたのですけれど、その頃から行く末の在宅医療の選択肢は頭にありましたし、その際お世話になるお医者さんのことはちゃんと考えて選ばなければだめだと、あらかじめ心づもりもしていました。それは介護生活の中でまるちゃんと知り合い、「さくらちゃん」で主催するいろいろな勉強会にも参加したから思ったことです。
私自身も大きな病気になってしまったのは、介護が始まって15年ほど経った頃です。入退院のたびに夫をショートステイなどに預けていたところ、環境変化が良くなかったのか、能力低下が顕著になり、通院させるのが厳しくなってきました。そのため、在宅医療がいちばんいい形なのではと考えて、長尾先生を紹介していただいたんです。ただ、いろいろあって、最後の最後は施設で看取ることになったのですが……。

西村様

西村さん

戸牧様

戸牧さん

戸牧: 私はそれとは逆だったんですよね。夫は若年性アルツハイマーで、若いので体力はあるし男性だから重いしで私の身体がついていかず、12年の療養期間の大半は施設生活だったんです。でも最後の最後に、夫を家に連れて帰ることを決断して、その際に三和クリニックにお世話になりました。
夫は施設にいましたけれど、私は在宅介護をしている有岡さんや西村さんを見ていましたから、自分も在宅で夫をみたいという希望は、実はずっと持っていました。そのため、2、3泊の短期だけ自宅に連れて帰る「逆ショートステイ」をしながら、自宅介護のシミュレーションを続けてはいたんですが、2日目までは大丈夫でも3日になるとどうしても……。
決断できないまま、夫を施設に見舞う日々が続きました。その迷いが一気に吹き飛んだのは、亡くなる4日前でした。夫の様子がいつもと明らかに違うと感じたとき、「連れて帰ろう」とはっきり決意できたんです。
三和クリニックとのおつきあいはそこから。短い期間でしたが、本当に濃い時間をいただきました。

――港谷さんはいかがでしたか。

港谷さん

港谷さん

港谷: 僕は実母を自宅で看取りました。三和クリニックとは、僕自身が三和クリニックの職員なので、もともとつながりがある状態です。職員が自分の勤務先を在宅医療の依頼先に選ぶというのは珍しいという方もいますが、僕には三和クリニック以外の選択はなかったですね。
母は亡くなったとき91歳ですが、三和クリニックをはじめて受診したのは80代の後半です。心臓が悪かったり貧血があったりとあちこち悪いところはありましたが、まだ在宅医療・介護の対象ではありませんでした。ただ、それまで自分で大阪の病院まで行っていたのがだんだんしんどくなってきたために、月一回くらい通院する形で、とりあえずゆるいつながりを持ったという感じです。
その状況が変わったのは、家の中で体操をしようとして転倒し、骨折してからです。骨折の手術後、リハビリ病院に3ヶ月ほど入院し、戻ってきたのちに在宅医療と小規模多機能施設のデイサービスとの併用となりました。そのまま数年、三和クリニックのつながりは通院だけという日々が続いたのですが、あるとき母の検査データなどを見た長尾先生が「これだと月単位か週単位の寿命かもしれない」と。その後、小規模多機能施設はもうやめて在宅にしたらどうか、こちらのケアマネに連絡したらどうかとのアドバイスを受け、そのままこちらのケアマネさんに相談の電話をしたのです。
もともとそれとなく母の話をしていたこともあって、電話をしたら、そのまま流れるように在宅の手配が進みました。ケアマネさん自身が次の日に来て、介護ヘルパーの手配もして、訪問入浴も次の日にスケジューリングして。訪問入浴の方と一緒に身体を洗ってくれたときは、こんなケアマネさんはなかなかいないなと思いましたね。

平穏死という幸せな看取り

――在宅医療の体制を整えるときの、三和クリニックのチームワークとスピード感。
今の港谷さんのお話からも感じられますが、戸牧さんのときもそうだったと伺っています。

丸尾様

丸尾さん(まるちゃん)

戸牧: 本当にそうでしたよ。ただ、実は私が夫を連れて帰りたいと思ったそのとき、まず相談したのはまるちゃんなんです。

まるちゃん: あのとき私は新幹線に乗っていたんだけど、そこに電話がかかってきた。今から迎えたいって。

戸牧: そうしたらまるちゃんは、何も言わずに三和クリニックとつないでくれたんです。先生にもケアマネさんにも訪問看護師さんにも全部連絡してくれて。次の日にはもう、自宅に介護ベッドも車椅子も来ていて、しかもケアマネさんも待っていてくださっていました。そしてその日の午後には訪問看護師さん、夜には先生のご訪問がありました。

西村: 普通はそんなふうにならないですよ。

戸牧: そう。すごいスピード感でした。それに、長尾先生の診察も印象的でした。私がそれまでの経過を私が話そうとしたら、お父ちゃんを見たらわかるからあんたは黙ってなさいと言われて(笑)。それから夫の身体中に触れて診察されて、「あと1週間か、4、5日かな」、「いろいろあったかもしれないけど、終わりよければすべてよしだから、頑張ろう」というようなことを言われました。

――そこから亡くなるまでの日々は、本当に貴重なものだったのではないでしょうか。

戸牧: まさにそうです。ちょうど春休み中で、孫と娘たちも帰ってきていたので、ずっと一緒に過ごせました。亡くなる当日のお昼にはケアマネさんが散髪や訪問入浴を手配してくださっていたし、訪問看護師さんも毎日来てくださった。夫はお風呂から2時間くらいで、静かに亡くなりました。  6歳だった孫は、死をどうイメージしていたかわかりませんが、夫が亡くなった後「おじいちゃん死んだのかな」と言って、布団をめくってさわったり、目や口を開けてみようとしたりしていました。おじいちゃん子だったからねと、そのときは皆すごく感激したんですけれど、何年か後、大きくなった孫にそのときのことを聞いたら、「長尾先生がおじいちゃんが亡くなった後、目を開けたり触ったりしてたから真似をした」と(笑)。死亡確認の真似をしていただけだった。

有岡: でもそのせいか、お孫さんは死に対して悪いイメージを持っていないですよね。おばあちゃんはいつ死んでもいいよみたいな感じで(笑)。

戸牧: あの年齢の子たちが、苦しまずに死んでいくおじいちゃんに接したのは、とても大切なことだったんじゃないかなと思っています。

まるちゃん: 長尾ちゃん(長尾先生)が言う平穏死よね。有岡さんのお母さんもそうよね。「つどい場さくらちゃん」の奥の部屋で、お正月みんなが集まっているときに亡くなった。

有岡: そう。母を自宅で看取ることが私の目標だったけれど、実際に最期を迎えた場所は、毎年お正月に泊りがけで来ていたここの、奥の部屋だった。1月3日のことです。私もまさかそんなことになるとは思っていなかったけれど、さくらちゃんで最期を迎えるということは、きっと母が選んだんでしょうね。皆がそろっているときに、点滴もひとつも打たず、本当に枯れるように。先生も、こんなに見事な平穏死はなかなかないねっておっしゃってくださった。

――先ほどから、看取りのお話を聞いているのに、不思議と笑顔になってしまうのを実感します。幸せな最期だったのだなと思います。

有岡: ええ。本当に幸せだったんです。もちろん、母といつまでも一緒にいたかったし、亡くなったことは悲しかったけれど、不幸感はありませんでした。これ以上ないほどの平穏死を迎えさせてあげることができて、見送る私の方もなんというか満たされたような、そんな気持ちでした。

医療者からの情報提供は介護の分岐点に

――死が近づく場面は多くの方には経験がないため、必ずしも冷静には乗り切れないのではないでしょうか。

座談風景

西村: 本当にそうです。特に救急車については、平穏死のためには「呼ぶべきではない」というのが共通認識としてありますが、実際に決断するのは勇気のいることでした。
先ほどお話ししたように、私の夫は最後の7ヶ月を施設で過ごしたのですが、亡くなる直前に施設の看護師さんに「救急車を呼びましょうか」と言われて、とても迷ったんです。勉強して、呼ばないのが正解としっかり納得したつもりだったけど、ぎりぎりのところで言われたら、やはり家族は迷うんですよね。ひょっとして病院に運び込んだら、何か打つ手があるのかもと思ってしまうんです。
でもこのとき、動揺する私の前で、夫がずっと断るように手を振っていた。長い闘病の間、何かあるたびショートステイとか何かに預けられていたから、これ以上どこにも行きたくなかったのかもしれません。それで気を取り直して、「呼びません」と。夫はそのままそこで亡くなりました。
私の場合は、決して後悔がないとはいえません。救急車のことも「これでよかったのだろうか」と思うし、最期を施設で迎えさせたことも、諸事情あったとはいえまだ引っかかっています。たった7ヶ月だったなら家で見たのにと思ってしまうこともあります。

有岡: でも、施設に入れる前は西村さんの身体が壊れてしまうかもしれないと、私たちもずいぶん心配しましたから。救急車を呼ばなかったことも含めて、それが最善だったんじゃないでしょうか。
最期のときに救急車を呼ぶか呼ばないかというのは、頭で理解するんじゃなくて、心で理解するというか、胸に落とさないとだめなんですよね。でないと、呼ばないという決断はなかなかできない。

港谷: そう。頭の中だけで理解していたら、土壇場でうろたえる。自分以外の家族にどう理解してもらうかも大切です。僕は職員なので多数の事例にも接していて、自分自身はちゃんと腹を括れていたと思うし、家族にも伝えていたつもりだったけど、いざ「そのとき」になったら僕じゃなくて妹が浮き足立って、「救急車、呼んだ方がいいんじゃない」って言い出してしまいました。
最期が近づいたときのことは、医療者から家族にしっかり伝えてもらわないといけないと僕は思っています。「何かあったら、救急車より前に絶対こっちに電話してね」って。そう言ってもらえているだけで、普段もそのときも、安心感は全然違う。場合によっては救急車を呼ぶという判断になるとしても、呼ぶかどうかを聞いてみる先が家族には必要ですね。

港谷さん

有岡: 救急車ではなくても、それが必要な対応かどうか、ちゃんと伝えてもらうことは重要かもしれません。私の場合ですが、母の最期が近くなってきた頃、訪問看護師さんに「もうすぐ食べられなくなるけれど、無理強いしないでね」って言われた。わかったと答えたのに、次の日に本当に食べられなくなったらうろたえて、「点滴してほしい」と電話してしまったんです。でも、看護師さんには「とても難しい決断だと思います。どうしたらお母さんらしくいられるか、後悔しないように一緒に考えましょう」って返されました。そして、「ありのままを見守るのは強い気持ちががいるよね」って。
そのとき、ああ、そういうことかと思いました。終末期に医療に頼ろうとするのは、自分の気持ちが楽だからなんだと。だけど、何が本人にとっていいのかということを考えたら、そうじゃない。看護師さんが言うように、耐えることには根性がいるけれど、そのしんどさは自分が受けなきゃいけないんです。それをちゃんと教えていただいていただけでもよかったのかなと思います。

港谷: 終末期の点滴はしんどいだけだとか、自己決定は大事ですよということはみんな知っているはずでも、実際に自分の家族がいつもと違う様子を示すと、やっぱり心は揺れます。というか、「終末期にはこうなるよ」ときいていても、それを見慣れていない家族にはこれが本当に終末期の出来事なのかということが、ちゃんとわからない。
だから、救急車や治療に頼ろうかなという思考になってしまう。亡くなる何日か前にせん妄のようになるとか、下顎呼吸になるとかという、いわゆる「死の壁」も、これがそうなのかどうなのかというのが、はっきり区別できないんですよね。そもそも典型的な症状とされるものも、人によって違ったりするし。たとえば高齢の女性の方だと、下顎呼吸とかもそんなにわかりやすくなかったり。

戸牧: うちの夫も、下顎呼吸はそんなにひどくなかったですね。大きな息を2回したくらいの感じで、そのまま止まったみたいな……だから本当に安らかでした。

――死のそのときに何があるか・どうするかだけでなく、介護の途中には胃ろうを作るか作らないか、点滴するかしないか、施設に入るか入らないかなど、多くの分岐点があります。
そこで医療者がどうコミュニケーションし、情報提供するかは大きいかもしれませんね。

座談会風景

有岡: それらすべて、主体は家族か本人か、どっちかということかなと。本人に主体を置いたら、どうするべきかというのはわかることじゃないかなと私は思う。

西村: 家族は自分が全責任を背負うのはしんどいんですよ。医療に任せてしまえば、私はできるだけのことしましたって言えるから、だから丸投げしたくなる。そういうところもあるんですよね。

――自分が背負うというのはとても重いことですよね。

三和クリニックのよさとは

ここまでにも少しずつ長尾医師や訪問看護についてのエピソードが出ていますが、実際に在宅医療を経験して、三和クリニックについてどう評価されていますか。

西村: 三和クリニックの方々は、みな必ず電話がつながるし、反応が早いですよね。私は、入院しなければならないことが頻繁にあって、そのたびに夫をどこかにお願いしなければならなかったのですが、そんなときでも、三和クリニックのケアマネさんに相談すればすぐ対応してくださる。一度などは遠方への出張中にもかかわらず、ショートステイを見つけてくれました。緊急のときに頼りになるのはとてもありがたいです。

座談会風景

戸牧: さっきも触れましたが、私の夫が家に帰るとなったら一日ですべてがそろっていたという。これは決して当たり前ではないのに、それを可能にしてくれる。このスピード感と患者中心の姿勢は、本当に頭が下がります。
クリニックにはもちろん、何も聞かずに三和クリニックに橋渡しをしてくれたまるちゃんにも、感謝しかありません。

まるちゃん: 私と長尾ちゃんの仲だから(笑)。

戸牧: 電話がつながるありがたさといえば、私のところでも夫の喉に唾液が詰まって、唇が真っ白になったことがあったんです。このときは訪問看護師さんにはつながらなかったんですが、長尾先生にお電話をしたら、どうしたらいいか指示をしてくれました。
その電話に出るときの「もしもし」が小さな声で。あとで聞いたら、先生は東京で会議中だったそうなんです。それでも電話に出てくださったし、その日の夕方には先生のほうから「お父ちゃんどうや」って電話をくださいました。嬉しく、心強かったです。

港谷: 先生はよく講演会をされているけれど、講演途中にだいたい動画を組み込むんです。その理由のひとつが、動画を見ていただいている間に電話に対応するからだと。そうやって、たとえ抜けられない場所にいても対応できる体制にしているんですよね。

――電話したくなるような困り事があったとき、必ず誰かが対応してくれるのは助かりますね。他に、心強いと思ったことはおありでしょうか。

有岡: 先生もスタッフの方も、介護者がちゃんとしていないと本人のケアができないというのを基本とされているところです。どんなときでも、家族の様子も一緒に見ようとしてくださるので、それにずいぶん助けられました。
先生は訪問時、一見するとせわしなく動いているようでいて、本人だけでなく介護者のことも、ちゃんと見ているんですよ。入ってこられたときにまず私の目を覗いて、「君は大丈夫やな」って呟くの。それから母を見る。

西村: 同じでした。さっと入ってきたときに、私自身が気が付いていない目の充血に気づいて、どうしたんやって聞いてくださったことがあります。訪問看護師さんも同様で、たまたまいらしているときに私がちょっとふらついたら、「どうしたん」て血圧を測ってくださった。そうやって、家族ぐるみで気づかってくださるんですよね。

有岡: 終末期に近づいてからは、訪問看護師さんの存在を特に大きく感じました。母を看るのと同じくらいのウェイトで私に寄り添って、話を聞いてくださったし、最期のときはどうなるのかとか、何をしたらいいのか悪いのか、繰り返しレクチャーしてくれました。まさかこの「さくらちゃん」で看取るとは思いませんでしたが、そうした話をしていたから、落ち着いて看取りができたんだと思います。それは本当に三和クリニックのおかげだし、訪問看護さんがいなければこんな看取りはできなかった。感覚的にはそんな感じですね。

――看護師さんは患者と家族にとっていちばん身近な医療者だと、あちこちで言われています。

有岡: そうですね。長尾先生も、「下手な医者より訪問看護師のほうが絶対頼りになる」っておっしゃっていましたけれど、本当にそうだと思います。もちろん先生のことは尊敬していますけれど(笑)。

――港谷さんは三和クリニックの職員でもいらっしゃいますが、ご自身の職場に医療や介護を依頼した理由は何でしょうか。

港谷: やっぱり、クリニックの「言行一致」を目の前で見ているからかなと。どんな立派なスローガンを掲げていても、スタッフがそのように動いていないとしたら、誰も自分の身内を預けようとは思わないですよね。でも三和クリニックでは、先生や看護師さんがクリニックを飛び出していくシーンは当たり前。「ケアマネセンターさんわ」のケアマネさんも、24時間体制ではないのに、必要なら患者さんのもとに駆けつけていくのを見ています。
三和クリニックのスタッフは、誰もが患者さんとご家族のためにという気持ちで動いているということを、僕は日々、その場で感じています。だからこそ、僕だけでなく多数のスタッフ・元スタッフが、このクリニックに在宅医療を依頼しているのでしょう。自分が言うと手前みそになるのかもしれませんが、対応の質の良さと信頼感の証ではないかと思っています。

有岡: 長尾先生は名誉院長になられて臨床も少なくなったけれど、三和クリニックの方々はみんな、その「長尾イズム」を受け継いでいる。やっぱり他にはない病院やなと思ってます。

三和クリニックのよさとは

ここまでお話を伺ってきて思うのは、三和クリニックの名前と同等以上に「まるちゃん」こと丸尾さんの名前が出てくることです。「つどい場さくらちゃん」が、現在進行形で、介護をしている方々を深く支えているのだということが窺えます。三和クリニックと「さくらちゃん」にはどんなつながりがあるのか、お聞かせください。

まるちゃん: よく聞かれるけれど、ただ長尾ちゃんと個人的におつきあいがあるというだけなんですよ。ユニークな活動をしている県内の団体に助成金を出すという兵庫県の取り組みがあって、それに応募したら、審査会のような場所に長尾ちゃんが来ていて知り合いました。それから15、6年の付き合いです。

――「つどい場さくらちゃん」についても教えていただけますか。

まるちゃん: 「さくらちゃん」は介護する人を支援することを主な目的として、みんなが「まじくる」場として作った場所です。介護する人もされる人、介護職や医療職、みんなの居場所というのを基本に、旅行や勉強会の企画や、介護者の方が休むための見守りサービスなどを提供しています。
旅行を企画するのは、自分自身が認知症介護をしているとき、普通のツアーではサポートがなくて旅行に行けなかった経験からです。じゃあ、みんなで行けばいいと。初めて企画して行ったのは旭山動物園でしたが、そのときは車椅子の人の移動にもちょっと不安が残るような場面が多かったのが、翌年も同じコースで旅行したらかなりの面が改善されていました。そのときに、車椅子の人や介護される人たちが外に出ないと、絶対街は変わらないと実感して、以来、海外も含めてたくさん旅行に行っています。
みんなで行くと、安心だし、人の介護を見ることにもなって学びにもなるんです。いろいろな意味で効能のある活動でしたが、ここのところコロナで行けていなくて残念ですね。

有岡: 実はうちの母も、亡くなる2ヶ月前に一緒に沖縄に行っています。さすがにちょっと大丈夫かなと思ったけれど、訪問看護師さんも長尾先生も「行ったら」と勧めてくれたので、覚悟して行きました。旅行後の母は万全の体調とはいきませんでしたけれど、空港についた途端にふわっと笑顔になったのを見たら、これでよかったと思いました。

――三和クリニックと「つどい場」は、お互い介護者を支える場であるという点で共通しているのですね。

まるちゃん: そうかもしれません。私は、介護はどんな立場でも、笑いがないと辛すぎると思っています。だから、介護者には幸せや楽しみを感じてほしいし、職場なら、介護職の人がもっと笑えるような職場であってほしい。介護はただでさえストレスが溜まるんだから、美味しいものを食べて、良く寝て、笑う。このあたりのことも大事にしてほしいです。

自分の目で見て、感じて、在宅医選びをしてほしい

――最後に介護の先輩として、今まさに介護中の方や在宅医療を迷っている方などに、届けたいメッセージなどをお聞かせいただけますか。

スピーカー

有岡: 在宅で本人をみていこうと思ったら在宅医の存在は不可欠です。ただ、単に在宅医といっても、その先生やクリニックのポリシーはいろいろです。だから、そこはどういう医療をやっているのか、その先生の思いはどんなものかということを確かめることはとても大切です。それがご本人や家族が望む最期を迎えることにつながっていくでしょう。

西村: 私が思うのは、できるだけ話を聞いていただける在宅医・クリニックを探してほしいということですね。介護はどうしても孤立感につながりがちですし、いろいろなことを決めていかなきゃならないプレッシャーもあります。信頼できて、ちゃんと耳を傾けてくれる人に話すことができれば、納得にもつながりますし、先に進むこともできるんじゃないでしょうか。

戸牧: 介護には親子・夫婦などいろいろな関係性がありますし、個々にこうしたいという理想もあると思います。でも、そのときそのとき、こうしたいと思ってもできないことはあります。だから、できなかったらできなかったで、その気持ちを話せて、場合によっては理想に近い形までサポートしてくれる、信頼できるスタッフがいるところを見つけてほしいですね。そのためにも、自ら情報を得たり、頼れる人とつながれるような動き方をしたりすることが必要なんじゃないかと思います。

港谷: できれば介護者も、介護にまつわる制度その他を勉強しておいた方がいいんですが、それはなかなか難しいと思うので、医療だけでなく介護面にも目を向けてアドバイスしてくれる医療機関を探すのがポイントかと思います。介護は生活に密着していて、そして生活はずっと続くんです。しんどくなったときも、たとえばショートステイを使うといった方法を使うことをためらわないでほしいし、それを相談できるクリニックやケアマネだといいのではと思います。全部自分だけでやろうとしないことが大切です。

まるちゃん: 介護する人とされる人の間に相性があるように、介護を支える医師・看護師・スタッフとの相性もいろいろ。だから、チェンジしてもいいということは覚えておいてほしいですね。合わないと思ったら気を使い過ぎず、ある程度ビジネスライクにチェンジする。その勇気を持つことで、本人へのより良い寄り添い方ができるようになると思いますね。

―――とても貴重なお話でした。本日はありがとうございました。